①
――ある夏の日。日曜の昼下がり。一日の中で最も熱い時間帯。
僕とナナシはファーストフード店のテラスで、コーラを片手に時折吹いてくる温い風を浴びながらだらだらと雑談をしていた。先に言っておくけど僕達はカップルじゃない。
ナナシとは同い年で幼い頃から友人関係を続けている。今日はハイ・スクールもバイトも休みだったから、適当にオネットの一角を散策してたら偶然図書館からの帰りだったナナシに出会い、立ち話もなんだからと近くの店に立ち寄り、今に至る。
ちなみに僕の冒険のことを知っている数少ない人物のひとりでもある。僕の運命が決まったあの日、色々と間が悪くてナナシには事情を打ち明けられないままオネットを旅立った――。
そして旅の後半、無口なグミ族達を何とかするために「むくちをなおすほん」を借りにオネットに戻った際、偶然道端で久々に再会した。
その時はてっきり怒られると思っていたのに、彼女の口から次々に溢れてきたのはどれも僕のことを気遣う暖かな言葉ばかりで――。
訳を話すと疑うことなく事の重大さを理解してくれた上に、泣きそうな顔をしながら再びオネットを離れる僕達の無事を祈ってくれた。
そして旅を終えて帰ってきた僕を見て、ぼろぼろと涙を零しながら"おかえり"と言ってくれたことは今でも鮮明に覚えている。
――その後は旅で勉強が遅れていた僕に色々と教えてくれたり、一緒に過ごす時間が増えていった。こういう付き合いもあって、彼女に今もほんのりとした感情を持っているのは僕だけの秘密。
「そういえばさ。ネスが昔旅の中で戦ってきた敵の中でさ、一番嫌だった奴ってどんなの?」
昔の旅とは、六年前――僕が十二歳だった頃の話だ。ある日の夜、突然僕の住む街の裏山に隕石が落ちてきたのが事の始まり。あの夜から僕の平凡だった人生は良くも悪くも、目まぐるしく変わっていった。
隕石に乗って現れた未来人・ブンブーンから告げられたのは――ギーグという銀河系最大の破壊主と呼ばれる存在が近い将来、地球を征服するという未来。
そしてその運命を変えることのできる少年というのが、僕だということを教えられた。
自分の運命を受け入れた僕はポーラ、ジェフ、プーという同じ使命を帯びた仲間達と共に、ギーグと戦う力を得る為に世界中を巡る旅をしたんだ。
十八歳になった今でも、あれは長い夢だったんじゃないかと思わされる出来事ばかりだった。それぐらい僕達がしてきた冒険は非現実的かつ奇妙で壮大なものだったんだと思う。考えてもみてよ。
普通の少年として生活してたら、誰ひとり入ったことのない洞窟の奥に潜む巨大生物と戦ったり、ゾンビに襲われて墓場の地下に閉じ込められたり、怪物が棲む海を渡ったり、果ては幻の地底大陸に足を踏み入れたり、機械の体になってタイムスリップするなんてことはありえない。
況して自分の命や地球の未来を賭けて宇宙人達と戦うなんてこと、妄想することはあっても現実に起こるとは思いすらしないだろう――。
でもそんな幻のような奇妙な旅の中で様々な出会いがあった。暖かな心を持ち、僕達を支えてくれた人々。勿論人間だけじゃない。
猿、タッシーといった動物達、謎めいた存在だけど素晴らしい技術力をもって僕達を助けてくれたどせいさん達、魔境の奥底で人知れず暮らしてた所に突如訪れた僕達に驚くこともなく歓迎してくれたグミ族。そうそう、逆に陥れようとしてきた大人達もいたっけ。
特にフォーサイドに着いて以降の旅では、人々が抱えているどろどろとしたものを嫌でも思い知らされた。ドロドロといえば、今でも印象に残っている敵がいる。
できれば思い出したくなかったんだけどな。あの形容しがたいフォルム、撒き散らされる悪臭。いやらしい歪な笑み。絶妙に手強かったアイツ――。
「んー……色んなのと戦ったけど、やっぱり最悪だったのはゲップーだな。あの下品な笑い声と悪臭は六年経った今でも忘れられないよ」
「あぁー……前に言ってた緑色の吐瀉物みたいなやつだっけ? そんなのに近付かなきゃいけないとか最悪だろうなあ……」
ナナシは怪訝そうな顔をしながら片手で自分の顔を仰いでる。うん、全くだよ。初めて奴と出会ったのは、スリークの北に位置するグレープフルーツの滝の裏に隠されていた工場の最奥部だった。
その工場では奴の手下によって連れ去られたどせいさん達が無理やり働かされていて、奴の好物である『はえみつ』を作る作業をさせられていたんだ。
一度戦った時はその『はえみつ』を利用して難なく倒せたんだけど、戦闘後の僕達は奴に擦り付けられた汚物に塗れていて最悪だった。
でももう二度と会うこともないと思っていたら魔境の奥で待ち構えていて、僕達に負けた後に修行をしたみたいでさらに強くなっていた。その時はPKスターストームを習得して駆けつけてくれたプーのお陰で倒せたんだけどね。
そう言えばもう一体、できればもう遭遇したくない敵がいる。それは――。
「後は……"あるくキノコ"かな」
「あの、赤と白のキノコに足が生えてたってやつ?」
僕は頷きながら、ストローに口をつける。冷たくて刺激的な感覚が口の中に広がって、喉の中を流れていく。あるくキノコ――膝丈ぐらいの大きさのキノコで、その名の通り足が生えている。
そいつが撒き散らす胞子を吸い込んでしまうと、あろうことか頭からキノコが生えてきて、平衡感覚を失ったり幻覚を見たりするようになってしまう。
ギーグを倒した後は見かけなくなったから安心したけど、人の心や動物だけじゃなく、植物までにも影響が及んでいたことを考えると本当に恐ろしい存在を相手にしていたんだと戦慄する。
「生えたキノコは自力じゃ取れないし、時間が経つにつれて段々自分が自分でなくなる感じでさ。本当に参ったよ」
「頭からキノコが生えるとか怖いなー。あの頃出くわさなくて良かった」
そう言いながらナナシはポテトをつまむ。僕も彼女の言葉に相槌を打ちながらハンバーガーを齧る。これ食べ終わったらどうしようかな。そんなことを考えながらナナシの方を見ると、頬杖をつきながら何か考え事をしていた。
彼女は時々こうやって真剣な表情になることがある。普段は穏やかな表情を見せてくる分、たまにこういう表情をする所にギャップを感じるんだよね。そんなことをぼんやり考えていると、ふいにナナシは視線を上げてきた。僕と視線がかち合う。
「どうしたの? てか、ネスすごい汗かいてるじゃん」
「え、そりゃあこんなに暑いし。ところで何か考えてたの?」
「んー……今朝見た夢のことなんだけどね。私ってさ、結構忘れっぽい性格なんだよね。でも何故か今日見た夢のことはすごく鮮明に覚えてるんだよ」
「へえ、どんな夢だったの」
するとナナシは一度コーラを飲み、やがて小さく俯きながら呟く。
「……何かね、ネスと旅をしてる夢。砂漠を歩いてたんだったと思う。景色的にドコドコ砂漠っぽかったけど」
「ドコドコ砂漠? なんでまたそんな夢見たのさ」
「さあ? ただ何だか不思議な気分だったなあ。吹いてくる熱気とか、砂を踏む感触とか、やけに現実味があるっていうか」
そう言ってナナシは再びコーラを口に含む。すると段々神妙な顔つきになり、少し間を空けてから口を開いた。
「それでね……その、夢の中で野宿する場面に切り替わった時にね、ネスが……キスしてきたんだよ」
「えっ、僕が!?」
突然の展開に僕は驚きの声を上げる。ナナシの頬がほんのり染まって見えるのはこの暑さのせいか。彼女は唖然とする僕を見て苦笑しつつこくりと首肯した。
「うん。びっくりしてそこで目が覚めちゃった。本当おかしな夢だよねえ」
そう言って笑うなりナナシはまた一口、コーラを飲む。しばらく無言の時間が続く。その間、僕はひどく動揺していた。――だって、まさかナナシの夢に出てきた僕がそんなことするとは思わないじゃないか。
僕が普段ナナシのこと良いな、なんて思ってる念が無意識の内に彼女に届いてしまったんだろうか。手に握られている紙コップが温く感じる。僕の方はコーラを飲みきっていて、気付けば残っていた氷もほぼ溶けていた。
沈黙に耐えかねて僕は言葉を紡ごうとするも、何を言えばいいのか分からず結局口をつぐんでしまった。そのまま時間だけが過ぎていく――。そんな中、口を開いたのはナナシだった。
「……これ、食べ終えたらネスはどうする?」
「え、うーん……そうだなあ。ナナシこそこのまま家に帰るの?」
「何かすぐに帰る気にもなれなくてさあ……とりあえず気の済むまでブラブラ歩こうかなって」
「そうなんだ。僕でよければ付き合うよ。暇人同士で動くのも悪くないでしょ」
「暇人って。まあ、その通りだけどね。取り敢えず涼しい所行きたい」
とりあえず行く宛もなかった僕達は近くのゲームセンターに行くことにした。店内なら空調が効いていて涼しいだろうし、って考えてたし。店に入ると、色とりどりのゲーム機が目に飛び込んでくる。
メダルゲームの筐体には子供から大人まで多くの人が群がっていた。かつてはシャーク団という不良集団の溜まり場だったこの店も、今では誰でも気軽に遊べるように整えられた健全な娯楽施設になっている。
ちなみに元シャーク団のボスだったフランクは、現在は夢を叶えるため今の内に色々な経験をしておきたいということで、バーガーショップの店員とこの店のスタッフを掛け持ちしている。今日は休みみたいで姿を見かけないけど。
「ゲーセンとか久しぶり……ここも随分変わったよねえ」
「涼むだけなのもつまらないし、折角だから遊んでいこうよ」
そう言って僕はクレーンゲームコーナーへと足を向ける。そこにはぬいぐるみなどの景品がたくさん置いてあった。UFOキャッチャーの中にはお菓子の箱やフィギュアなどが入っているものもある。
「こういうのってさ、ぱっと見取れそう!って思わせる配置にしておいて結構しぶといものばかりなんだよね」
「そうそう。それで気がついたら10$以上注ぎ込んでたりしててさ」
目を惹く景品もあったにはあったけど、今日はそこまで持ち合わせが無いから仕方なくその場を離れた。さてどうするかと考えていた時、隣にいたナナシがふと足を止めた。
「ねえねえ、そこのシューティングゲームやろうよ」
そう言うと近くにあるゲームを指し示す。その筐体には"新登場! 大人も子供もお姉さんも!"と書かれた紙が貼られていた。取り敢えずやってみようかと2人で並んで座り、コインを入れてゲームを始めた。
コントローラーは銃の形になっていて、ゲーム画面ではコントローラーと連動して照準が動くようになっている。襲いかかってくる敵を撃つたびに、敵の強さに応じてポイントが入るというシンプルなものだ。
「わっ、結構難しいねこれ」
「新登場なだけあって、思ったより手応えあるな」
「ネス、上手いなあ」
「まあ、これくらいならね」
「私、全然ダメかも……あー、やられちゃったや」
ナナシは自分のキャラクターがやられたことに落胆している。確かにこのゲーム、難易度は高い方だとは思う。でも一応ナナシが見てる前だし――ちょっと良いところ見せたいよね。
僕はコントローラーのグリップを握り直すと、画面に意識を向けた。僕はなるべく欲張らずに適度に攻撃しながら、敵の攻撃を受けないように立ち回る。その結果、僕のキャラクターはHPを半分ほど残した状態でステージクリアできた。
「ふぅー、結構楽しいな、これ」
「本当にクリアしちゃったよ……」
尊敬の眼差しを受けて僕は少し気恥ずかしくなりながらも、コントローラーを膝の上に置いてナナシの方を見た。
彼女が目を輝かせてこっちを見つめていたものだから、思わずドキリとする。熱くなった顔を隠したくて、俯きながら銃のコントローラーを筐体に戻す。
「そんな目で見ないでよ。なんか恥ずかしくなるから」
「ごめん。だって、凄かったから……」
そう言いつつも、ナナシはまだ僕から目を離さない。――ああ、何だか体中熱いしこそばゆい感じがする。
冷房が効いてる建物の中にいるのにさ。その後は他のゲームもやってみたり、やっぱりクレーンゲームも気になってやってみたりなんてした。
「あー、もうちょっとであのお菓子取れそうなのに! そうだネス、PSIでちょこっと――」
「ダメだよ」
僕はすかさずツッコミを入れる。流石にこういうことで超能力を使うのはアウトだろう。ナナシもそれは分かってるからか、悪戯っぽく笑いかけてきた。
「分かってるよ。冗談に決まってるでしょー」
彼女は楽しそうに笑っていて、その様子に僕もつられて笑う。その後、プリクラも撮ってみた。ナナシがどうしても撮りたいって言うから仕方なく。
女子って本当こういうの好きだよなあ――とかいう僕も写真を撮ることは嫌いじゃない。
出来上がったプリクラにはピースサインをして微笑んでいるナナシと、やんわりとした笑顔の僕が写っていた。
出来たプリクラを見ていたナナシが何かを呟いている。よく聞こえなかったので聞き返すと、彼女は慌てた素振りを見せつつ、プリクラをバッグに入れた。
――その後はゲーセンを出て町中をぶらぶらと散策していた。改めて思うけど、これってデートそのものだよな。ただ、僕とナナシはカップルじゃない。
こうして並んで歩いているとたまにナナシの手に触れそうになる。今の僕の手、汗ばんでるんだよ。暑いからいけないんだ。
決してナナシが隣にいるから、とかそういう訳じゃないんだ。そうだよ。絶対違うんだから。
ちらっとナナシの方を見ると、彼女のこめかみからも玉のような汗が流れていた。やっぱり暑すぎるよな。この胸の内側から湧いてくる熱もきっと、この暑さのせいなんだ。
「うぅー……暑すぎる。そうだ、こっち歩いてみない?」
そう言ってナナシは人気の無い細道を指さした。薄暗くてもの寂しげな雰囲気だけど、このまま日光に焼かれるまま歩くよりかはマシかと考える。
もう夕方だというのに、太陽は容赦なく地上に灼熱を降り注ぐ。額から頬を伝って、汗が一粒地面に落ちた。
「分かったよ。行こうか」
「うん」
やがて涼しげな細道を抜けると、小さな公園が見えてきた。この時間帯には珍しく、誰もいない。木陰のベンチに腰を下ろし、自販機で買ってきた飲み物を飲む。冷たいスポーツドリンクが喉から胃に流れ落ちていく感覚が心地良い。
暫く沈黙が続く。ナナシは今何を考えているのかな。そう思って横を見る――すると思わぬことに彼女は僕のことをじっと見つめていて、僕は驚いて反射的に顔を逸らす。
少し間があってから、僕の耳にナナシの声が小さく響いた。
「ネス……覚えてる? 昼に夢の話したよね」
「あ、ああ……うん。覚えてる」
――忘れるわけがない。あの話を聞いたせいで、今日の僕は君のことをやたら意識してしまったんだから。
「私、今日一日中考えてみたんだ。何で私があんな夢を見たのか」
ナナシは僕から視線を離すとまっすぐ前を見つめた。その瞳は虚ろにも見えて、彼女が何を捉えているのか、僕には分からなかった。
「多分、私――ネスと冒険してみたかったんだろうなあ。だから夢の内容まではっきり覚えてたんだと思う」
「え……?」
「もう叶わないから、余計に強く願ってたのかもしれないなって。だからネスとどこかを冒険してるかのような夢を見るようになっちゃったのかな」
僕は一瞬呆気に取られてしまった。だってそれってつまり、言い換えれば何処でもいいから僕と一緒にいたかったってことじゃないか。我ながらなんとも都合のいい解釈なのは自覚している。
急に恥ずかしさが込み上げてきて、顔が熱くなるのを感じた。不意にナナシがこちらを向いて、目が合う。
「私、ネスの冒険の話を聞くたびにワクワクしててさ。ネス達からしたらそれどころじゃなかった旅なのは分かってるんだけど……もしそこに私もいたら、とか考えるようになっちゃってた」
――と言っても足手纏いになるだけかな、と呟きどこか寂しそうに目を細るナナシを見ていると、胸の奥がむずむずとする。
少年であった頃に経験したからこそ、"あの"冒険は今でも色褪せることなく僕の心の中に残っているんだと思う。同じ体験は二度とできないし、あってはならないから。
でもね、"冒険"そのものは何歳になったって、何時だってできるんだよ、ナナシ。僕は頭の中にぼんやりと浮かんだ言葉をそのまま声に出す。
「ねえナナシ――"冒険"したい?」
「えっ?」
「ナナシが望むなら、僕と一緒に冒険しよう。といっても、当時の旅みたいに危険なのはナシだけど。ちょっとしたスリルなら味わえるよ、きっと」
僕の提案を黙って聞いていたナナシはぽかんとしていた。それもそうだろう。いきなり冒険しようなんて言われても、困惑するだけだ。
今更ながら何言ってるんだろうって、自分でも思うよ。彼女だって冗談だと笑って流すことだろう。
「……いい、の?」
しかし僕の予想とは裏腹に、ナナシは呆然としたまま、どこかうわ言のように声を漏らしていた。煩わしいと感じていたセミの鳴き声が、遠ざかっていく。
彼女の期待の色を滲ませる瞳から目を離せない。今の僕の思考はひとつに定められていた。
「うん。君が望むなら――連れて行ってあげる」
僕が右手を差し出すと、ナナシはそおっと手を伸ばしてきて、握り返してくる。手が汗ばんでるからとか、そんなことはもう気にならなくなっていた。
――これが僕と彼女のささやかな旅の始まり。
長編二本になりましたが、並行して続けていけたらと思います。
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