⑪
夕食を終えて片付けを済ませた頃。空は橙から濃紺色へと変わり始め、僕とナナシは一番星の煌めきを眺めていた。誰もいない砂海の中心、二人きりで夜空を見上げる。
こんな最高のシチュエーションを味わえる機会はこれが最初で最後かもしれない。そんな中、ナナシは何か思い出したかのように小さく声を漏らす。
「そうだネス。私、実は前から気になってることがあって……」
彼女は何を問いかけてくるんだろう。僕が答えられる範囲のことだろうか。いや、これがもし"気になってる人いるの?"とかだったらどうしよう。そんなこと聞かれでもしたら僕はどうしたらいいんだ。まさか"目の前にいるよ"なんて言える訳――。
「あの……ダイヤのように固まるってどんな感じ?」
「は……え、えぇ……?」
「いや……前にさ、"大きい目玉の敵に睨まれたら身体が本物のダイヤモンドみたいに固まった"って、ジェフが話してたの思い出してね。つい気になって」
何故今このタイミングでそんなことを聞いてくるのか。まさかあの星からダイヤモンドを連想したとかじゃあるまいな。どうやらこのロマンチックな情景に浸っていたのは僕だけだったということか。
落胆によるものか、緊張が解けて肩を落としそうになるのを何とか堪え、僕は当時の感想を交えながらナナシの質問に答えるのであった――。
「この岩壁、良い感じにへこんでるしここなら風も入りにくくて寝やすそうだよ」
「本当だ、寝袋敷くスペースも充分ありそうだね」
寝る前にもう一度オアシスの水を鍋で沸かし、そのお湯に新品のタオルを浸してよく絞る。それからナナシが持ってきていたボディシートを分けてもらい、それらを持ってそれぞれ岩場の影へ移動し、服を脱ぐと汗や砂にまみれた全身を拭っていく。
野宿とはいえ流石に汚れたままで寝袋に収まるのは落ち着かない。特に女子であるナナシは僕以上に気にしているだろうし。
今日はオアシスを見つけられて本当に良かった。綺麗な水を確保できるというのがどれ程大事なことか改めて実感する。その後鍋に残っていた水を使って歯磨きをし、寝る準備は万端。後はもう寝袋に入るだけ。
「じゃあ明日も早いし寝よっか。おやすみ、ネス」
「うん、おやすみ……ナナシ」
互いに寝袋に潜り、挨拶を交わすと目を閉じた。時折岩場の隙間を抜けてきた冷たい微風が、ひやりと頬を撫でていく度に背が丸くなる。疲労の溜まった状態ならすぐ眠れると思っていたけど、どうも簡単にはいかないみたいだ。
夜の砂漠は昼間とは全く正反対の顔を見せ、日中の暑さが嘘のような寒さが僕達を包み込む。気温が下がるのは知っていたけど、まさかここまで冷え込むなんて。昔にスカラビの砂漠を横断した時も"ダンジョン男さん"の中で寝泊まりさせてもらったから、僕は今まで砂漠のもうひとつの脅威を知らずにいたんだ。
ナナシは大丈夫だろうか。気になって耳をすました途端、"くしゅん"と小さなくしゃみと共に彼女の寝袋がもぞもぞと動いた。やはりこの寒さで上手く寝付けないんだろう。もしかしたら風邪をひく可能性だってある。
こうなったら――僕は身体を起こすと彼女の肩を軽く叩き、声をかけた。
「ナナシ、大丈夫?」
「ん……ちょっと、寒いかも」
「実は僕も。そこでなんだけど……身体を寄せた方が良いかなって」
本当は照れくさくて仕方ないけど、冷えきった夜を凌ぐにはこうするしかない。ナナシは一瞬戸惑いを見せたものの僕の提案に乗ってくれて、遠慮がちに寝袋ごと近付いてきた。
互いに寝袋のチャックを開いて身体を寄せ合い、その上からブランケットを掛ける。ほんの少し身じろいだだけで頬同士が触れ合う距離。
触れている部分から伝わってくる彼女の体温、耳元で聞こえる小さな呼吸音が身体の芯にまで熱を与えてくる。参った、正直これでは眠れる気がしない。提案する前から分かっていたことなのに。
「どうかな……眠れそう?」
「た、多分」
微かに上擦った声。多分ナナシも僕と同じように緊張してるのではないか。こんな状況で何を考えている、と呆れられるのは間違いないけど――本当に彼女が僕の事を意識してくれてるのだとしたら、嬉しいというのが本音だ。
「こうやって二人で寝るの、小さい時以来だね」
「確かに。あの頃は遊び疲れたらすぐ寝ちゃってたな……」
"昔のネスとナナシちゃんたら、元気に遊んだ後はいつも一緒で気持ち良さそうに寝ていたわよね"
そういえば今でもたまに、ママは懐かしみながらこんな話をしてくることがあった。小さい頃の僕達は幼さ故か、今では到底照れくさくてできないことも平然とやっていたとか。
「懐かしいね。確かあの頃、よくママさんから"もうおねしょしないようにね♪"とか、」
「なっ……そ、そんなの言われたことないってっ!」
「そっかあ……私の記憶違いだったのかな?」
なんて言いながらクスクスと笑うナナシ。これは間違いなく覚えてる上で僕をからかっているな。思いがけずかつての恥ずかしい記憶を掘り起こされてしまい、笑われてしまっては居てもたってもいられない。
彼女は肩を震わせているけど、それはこの寒さによるものではないだろう。こうなったらとっておきの"あの話"を――僕は仕返しとばかりに彼女の耳元で囁く。
「そういえば、昔のナナシってかなり寝相悪かったよね」
「そ、そんなこと……!」
"嘘でしょ"とでも言いたげに跳ねた声。その反応に思わず笑いそうになりながらも続ける。
「ジュニアスクールに上がる少し前、僕の家に泊まりに来たことがあったでしょ。その夜、一緒に僕の部屋で寝てた君はベッドから転がり落ちた後……」
「え? 待って、それって……!」
話を続けていく内に記憶を呼び起こされたのか、ナナシの表情からは色が抜けて白くなっていくようだった。
「……朝までテーブルの下で寝てたんだよね。それも脚の部分に抱き着いてぐっすりと気持ち良さそうにさ」
「だから、そんな覚えはっ、」
「へえー、じゃあ僕の記憶違い……ってことかな?」
わざととぼけた振りをして見せる。すると返す言葉も見つからないのか、ナナシはブランケットを顔の位置まで引っ張り上げて隠れてしまった。よし、反撃は大成功。
「ふふ、これでお相子だね?」
「……ネスのイジワル」
ナナシはようやく顔を出したと思うと、唇を少し尖らせていた。これ以上は拗れるかもしれないから止めておこうかな。その後も昔話に花を咲かせていく内にナナシの返答は曖昧なものになっていき、やがては小さな寝息が聞こえ始めた。
「あれ、寝ちゃったか……」
身体の震えもないし寝付けてるみたいで良かった。ちら、と顔を傾けてみるとそこにはナナシの穏やかな寝顔。幼馴染の一人だった彼女は、気付けば僕の中で特別な存在へと変わっていた。
心から楽しそうに笑う声も、真剣な面持ちで怒る姿も、時折見せる少し寂しげな顔も。ナナシの全てが僕だけのものになればいいのに――そう思い浮かんだ途端、ぼんやりとしていた視界が開けていく気がした。
「そうか……やっぱり僕は」
十年以上もの間、何かと言い訳を繰り返しては誤魔化し続けてきた僕は、ここに来てようやく"ナナシを愛している"という事実を心から受け止められるようになっていた。
もう一度ナナシの方を見ると、安らかな呼吸音を漏らしてなんとも気持ち良さそうに眠っている。
しかしこうして寝顔を眺めている内にあろうことか、僕は二日前オネットで彼女が言った"例の話"を思い出してしまったんだ。
"……何かね、ネスと旅をしてる夢。砂漠を歩いてたんだったと思う。景色的にドコドコ砂漠っぽかったけど"
"それでね……その、夢の中で野宿する場面に切り替わった時にね、ネスが……キスしてきたんだよ"
――僕は思い切り身体ごと反対側に逸らした。ひんやりとした風が火照った頬を撫でていく。それでも鼓動は余計に速度を増していき、眠気などどこかへ飛んでいってしまったようだ。
ああもう、好きだと認めた途端にこれかよ。一度大きく深呼吸をして落ち着いてから仰向けになると、改めてナナシの方に顔を向けてみた。
薄く開かれた唇は月明かりに照らされ艶めいていて、自然とそこに触れたい衝動に駆られてしまう――って、待てよ。一体何を考えてるんだ。今は早く寝ないと明日の移動に支障が出かねないんだぞ。
僕は悶々としつつも目を閉じ、必死に眠ろうと試みた。こういう時、自分自身に"さいみんじゅつα"を使うことができたらどれだけ楽だろうか――。
***
早朝五時、先に目が覚めたのはナナシの方だった。僕が起きた頃には既に着替えと歯磨きを終わらせていて、僕が使う分の水も用意してくれていた。そして思わぬことに、彼女は水で満たされたペットボトルを差し出してきたのである。
「え、これ……どうしたの?」
「実はね、昨夜寝る前に沸かした水を冷ましてペットボトルに入れておいたんだ。これならフォーサイドに着くまでもつかなって」
礼を言いつつ受け取ったペットボトルは想像以上に冷えていて、思わず歓喜の声を上げた。ナナシ曰く、夜に気温が下がることを利用して一晩中オアシスの水に浸けていたからとのこと。
今の僕にはナナシが輝いて見えていた。彼女はこの旅の中で、過酷な環境下でも冷静に先のことを見据えて行動できるようになっていたんだと。
「本当に助かるよ。砂漠も昨日までで三分の二ぐらい進めたし、残りもこの水さえあれば乗りきれるはずさ」
さて、僕も負けてられないな。砂漠を抜けるまで気を抜かず、いつでもナナシを守れるように構えておかないとね。後片付けをしてお互いに身支度を終えた頃。太陽が地平線から頭を出し始め、朝日が僕達を照らし出す。さあ、本格的に気温が上がってくる前に出発だ――。
それから歩くこと二時間。道中ではナナシを狙って奇襲を仕掛けてきたトサカランの群れに囲まれるも、応戦しつつ歩みを進めていった。今までは戦闘になると怯えていたナナシも、いよいよエアガンを片手に僕の隣に立つようになり積極的に攻撃するようになっていた。
「ナナシ、無理はしないで僕の後ろに」
「ううん、無理なんかしてない。むしろいい加減ナメられたまま何もできない自分が嫌になるぐらいだよ」
「でも危ないから……ってナナシ、今のスマッシュヒットじゃない?」
「やった、命中した……!」
奴らは格下だと思い込んでいたナナシが反撃をしてくるとは想定外だったらしく、群れの何頭かにエアガンの弾が当たると分が悪いと判断したのか、慌てふためいた様子で尻尾を振り乱して逃げていく。それを見送った彼女は急に気が抜けたように腰を下ろした。
「これで片付いたかな。ナナシ、大丈夫?」
「うん、何とか……殆どネスが追い払ってくれたからね」
太陽が調子を取り戻してきたのを感じる中、額から玉のように吹き出る汗を拭いながらハイタッチをする僕達。やがて遠くに車道と見覚えのある真っ白な柱が見えてきた。あれはこのドコドコ砂漠と、イーグルランド唯一の大都会"フォーサイド"を結ぶ大きな架け橋。
「ここまで来れば後少しか」
「もうすぐ、この旅も終わっちゃうんだ……」
少し寂しげな面持ちで目を細めたナナシに、敢えて返答はしなかった。二人で砂の上に刻んできた足跡は、いずれ風によってかき消されていく。
けれど、反対に何年経とうとも風化しないものだってあるはずだ。それが何なのか、本当は君だって気付いているよね、ナナシ――。
今度こそドコドコ砂漠編終了。ネスの想いもようやく固まりました。
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