それは小さな

Morning glow




 ――早朝五時。それぞれ身支度を済ませた僕達は民宿を出てこの村の南東に向かっていた。まだ眠気を払えないのか、ナナシは時々欠伸を噛み殺しながら僕について来ていた。昨日あれだけ動き回ったし、無理もないかな。
 村はずれの林をしばらく歩くと木々の間に二番目の"ぼくのばしょ"へと続く洞窟の入口を見つけた。
 少し周囲を見渡してみたけど、相変わらず整備もされておらず大きな変化は見られなかった。やはりジャイアントステップ同様、ここにも僕以外の人間を寄せ付けない何かがあるらしい。

「ここが二番目のネスの場所……? 確か"リリパットステップ"って言うんだよね」
「そうだよ。ここはジャイアントステップよりも深い洞窟なんだ。入り組んでる上に蝙蝠とかも潜んでるから絶対に僕から離れないで」

 ナナシは顔を強ばらせてごくりと喉を鳴らす。すると突然神妙な面持ちになり、リュックを地面に下ろして中を開いた。どうしたのかと思いながらその行動を見ていると、中から出てきたのは――一丁の拳銃。
 僕は一瞬動揺して目を見開いた。だって、まさか彼女がそんなものを持ち込んできてるとは思わないじゃないか。ナナシはというと、硬直している僕を見てくすくすと楽しそうに笑っていた。

「びっくりした? これ、玩具のエアガンだよ。本物そっくりでしょ。気休めだけど一応護身用になるかなって思って買っておいたんだ。ふふっ」
「いきなり銃が出てきたら誰だって驚くだろ」

 とは言うものの、本物の銃や兵器なんて昔散々見てきただろう。それを操る眼鏡の親友を思い出すと同時に、今更こんな玩具で一瞬でも驚いてしまった自分が少しだけ情けない。

「そうかもしれないけど……っ、さっきのネスの顔……!」

 僕の驚いた顔が相当ツボに入ったらしく、ナナシはお腹を抱えて笑い始めた。まさかこんな形でからかわれるとは思わなくて、僕の羞恥心はやがて小さな怒りに変化していった。
 懐中電灯を片手に、まだ笑っているナナシの横を通り過ぎて洞窟の入口に向かう。

「……洞窟で僕とはぐれても知らないから」
「え、ちょっと待って、怒んないでよー!」

 僕が不機嫌そうな声を出すと、ナナシはすぐに笑いを引っ込めて慌ただしく追いかけてくる。これで人をからかうのは懲りてくれるといいんだけど。
 洞窟の中に入ると、外の明るさに慣れていたせいもあって余計暗く感じられた。この洞窟は高低差が激しくて、所々は切り立った崖になっている。
 こうして足元を照らしていないとうっかり足を取られて転落してしまう可能性は大いにある。慎重に奥へ進んでいくと分かれ道に差し掛かった。一旦立ち止まると、追いついてきたナナシが隣に並ぶ。

「……どっちに行くの?」
「確か左かな。右にも道はあるけど、行き止まりだった気がする」

 正直に言うと、僕自身記憶に少し自信がない。なにせ六年前のことで、あの頃以来ここには一度も来たことがないんだから。しかしナナシを連れている今、不安にさせたくはない。
 拙い記憶を頼りに少しずつ進んでいく。途中モグラやコウモリの姿を見かけることはあっても、彼らは僕の姿を見ると暗闇に溶けるように消えていく。
 ナナシはジャイアントステップの時と同様、僕の服の袖を掴みつつぴったりとひっついていて、怯えながらもなんとかついてきていた。
 しかし突然すぐ横で彼女の息を呑む音が聞こえてきたと同時に足が止まり、掴まれている袖からは微かに震えが伝わってきた。

「ね、ねえ……ネス」
「どうしたの、ナナシ?」
「実はさっきから、鼻息のような音が聞こえるんだけど――

 耳を澄ませてみると、水滴が落ちる音が反響しているのに混ざって呼吸音に似たものも聞こえてくる。これは多分後方からだ。音のする方へライトを向けると――二十メートルぐらい先にそれはいた。
 毛むくじゃらの太い足。その剛毛からのぞく大きな爪。ゆっくりとライトを上に向けていくと、そこには巨大熊"かいりきベア"の姿があった。
 奴はその巨体と鋭い爪を以て、昔メロディのひとつを求めてこの洞窟にやってきた僕とポーラを散々苦しめた強敵だった。そしてこの洞窟にある"ぼくのばしょ"を乗っ取っていた"きょだいモグラ"を退治した時、コウモリ達と同じように奴も僕を恐れて逃げるようになったはずだ。それなのに何故今になって僕達をつけ回しているんだろう。
 しかし理由はすぐに分かった。奴の敵意を込めた視線は僕ではなく――隣のナナシを捉えていたんだ。熊という動物は人間が思っている以上に賢い。
 恐らく奴は襲いやすそうなナナシが一人になる所をじっくりと狙っているんだろう。彼女はすっかり怯えていて、僕の腕を掴むと震える声で呟いた。

「あ、あれ熊だよね……あんなでっかいの、初めて見た……っ」
「大丈夫だよ。僕の側にいれば奴は襲ってこないから」

 僕は安心させるようにナナシの手を握る。すると彼女は緊張しながらも、少しだけほっとした表情を浮かべた。彼女を庇いつつ熊から意識を逸らさないように進行方向へ進むと、奴は一定の距離を保ちながら僕達について来ていた。
 全く、しつこいな。あまり気が乗らないけど、一度PSIで攻撃して追い払ってみるか。一息吐くと空いてる方の右手を熊の方に向けたその時だった――。懐中電灯の光に驚いたのか、突然頭上から蝙蝠の群れが飛びかかってきた。

「うわっ」
「きゃあ……あっ――

 驚いてよろめいた拍子に、ナナシは僕の腕を掴んでいた手を離してしまった。そしてすぐ横にあった段差に足を取られたようで、小さな悲鳴とともに転げ落ちていく音が聞こえた。熊はこれを好機とみたのか、彼女が落ちていった先へと勢いよく駆けていく。
 僕も彼女を追って急いで段差を駆け降りた。この段差自体は二、三メートル程の緩い傾斜だから、大きな怪我はしていないと願いたい。
 下りながら底をライトで照らすと、ナナシが尻餅をついた状態で一点を見つめて震え上がっている姿が視界に飛び込んできた。
 その先にはさっきの熊が鋭い爪を振り上げていて、今まさにナナシに覆い被さろうとしていた。この状態で彼女を守る方法はひとつしか残されていない。

――間に合え……!

 強く念じながら右手を伸ばし、心の力を込めると両者の間に輝く透明の壁が現れた。壁は振り下ろされた爪を受け止めると激しい音を立て、熊の巨体ごと弾き返した。
 発動したPKシールドは間一髪でナナシの身を守ったんだ。熊は衝撃に怯んだみたいで上手く体勢を立て直せずにいる。
 僕は念の為奴にPKパラライシスをかけ、蹲るナナシに駆け寄るとその震える体を抱き抱えてその場を離れた。
 ようやく段差の上まで戻ってくると、一旦ナナシを地面に下ろして体の具合を見る。彼女は青ざめた顔をして俯いていた。あんな怖い思いしたんだから無理もない。

「ナナシ、大丈夫? 痛いところは?」
「大丈夫って言いたいところだけど……さっきので足を捻ったみたい」
「……少しじっとしててね」

 顔や肘とかに擦り傷は見受けられるものの頭を打ったりはしてないし、捻挫以外に大きな怪我はしていないみたいで一安心する。このぐらいなら僕の力で治療できるはずだ。
 ナナシの両肩に手を乗せると目を閉じて、力を彼女の全身にゆっくりと送り込む。次第に白く淡い光が彼女の体を包み込むと傷口が塞がれていき、足首の腫れも引いていく。

「ふう、ライフアップβで回復してみたんだけど。どうかな」
「凄い……足、全然痛くないし体も軽くなったみたい。ありがとう」

 彼女は立ち上がり何度か大きく足踏みしてみせる。良かったと思ったのも束の間、すぐにその表情を曇らせてしまった。まだ何処か辛い部分を隠しているんだろうか。

「ごめんね。私がドジだから、ネスに迷惑かけちゃって……足手纏いにならないようにって心に決めてたのに。いざあの熊を前にしたら何もできなくて――
「熊を前にしたら誰だってああなるさ。それに……言っとくけど、僕は一度も君を足手纏いなんて思ったことない。とにかく、君が大怪我しなくて本当に良かった」

 僕はナナシの手を取ると強気に微笑んでみせる。彼女は一瞬目を見開いた後、くしゃりと眉を下げてほんのり笑った。
 僕と君はこの『冒険』を共にするパートナーなんだ。これから先、きっとナナシに助けてもらう場面だってあるかもしれない。
 それにナナシに万が一のことがあったら、彼女を守ると約束したポーラに合わせる顔だってなくなってしまう。

「さあ、この辺まで来たら出口はもうすぐだから。歩けそう?」
「うん、問題ないよ。私、もっとしっかりしなきゃ」

 恐ろしい目に遭った直後だというのに、ナナシは震えもせずしっかりした足取りで僕の隣に立つと再び歩き出した。心配をかけまいと無理してるのかもしれないけど、その気丈な振る舞いに僕は感心すると同時に安堵していた。
 何故なら、彼女が"帰りたい"と心から願ったその時――この"冒険"は終わってしまうから。やがて視線の先に光が差し込んでいるのが見えてきて、それはこの洞窟の終わりを意味していた。
 洞窟を抜けると、岩肌の絶壁に囲まれた空間に出た。ここが二つ目の僕の場所"リリパットステップ"。名前の通りまるで小人達が行進したかのような、どこか可愛らしい小さな足跡がいくつも並んでいる不思議な場所だ。
 一体いつからここに存在しているのかは、誰も知らない。ナナシは小さな足跡の元に歩み寄ると、地面をじっくりと見つめている。

「わあ、何このちっさな足跡! 沢山あるよ」
「それがここの名前の由来だよ。小人のような足跡だから”リリパットステップ"」

 この踊るように付けられた足跡を見ている内に、僕は今回ここに辿り着くまでのことを振り返っていた。かいりきベアに襲われたのは想定外だったけど、これも僕との"冒険"としてナナシの心の中に残る事になるんだろう。そこで僕はもう一度、彼女に聞かなければならないことがある。

――ナナシ。ここに辿り着く前に一度でも"帰りたい"って、思った? 今後の旅の為にも、正直に言ってほしいんだ」

 問いかけられたナナシは少しむくれたかと思うと、すぐに首を何度も横に振って否定した。そして僕の方へ向き直ると、次は少し照れたような顔で笑ってみせる。その瞳は揺らぐことなく僕を見つめていた。

「今更帰りたいなんて思うわけ無いよ。私がどれぐらい今回の旅楽しみにしてきたと思ってんの? 私が昔から夢に見るまで望んできたことを、今ネスが実現してくれてることが凄く嬉しいんだから。確かにさっきは怖い思いもしたけど――ネスと一緒だから歩けるんだよ」
「ナナシ……」

 ナナシの真っ直ぐな言葉に思わず胸が熱くなる。僕達は互いに見詰め合うと、どちらからともなく微笑んで頷いた。これからも想定外のことが起こるかもしれない。それでも僕はナナシを守っていくし、何処までもナナシに付いてきてほしい。
 いつの間にか僕の右手はナナシの左手を包んでいた。彼女は一瞬驚きはしたものの、その手を振り払うことはせず地面に散らばる足跡を静かに見つめていた――

 帰る道中、幸い何にも遭遇することはなく洞窟を抜け村に戻ることができた。あの熊も回復した後は寝座にでも戻ったのかもしれない。その頃には時計は八時を回っていて、朝日が建物の屋根を等しく照らしている。
 一旦僕達はスーパーマーケットに寄りパン等を買って、近くのテラスで朝食を摂りながら次の目的地について話し始めた。

「今日は谷を抜けてツーソンに戻ったらバスに乗って、昼過ぎにはスリークに到着できるようにしたいんだ。バスでならそんなに時間はかからないしね」
「そうだね。なら早めに谷を抜けないと厳しいかも。この時間のバスは本数少ないから」

 話がまとまると僕達は荷物を整え、すぐにハッピーハッピー村を後にした。谷へ進む前にもう一度村の方に振り返り、遠くに見える白塗りの教会を見つめる。
 すると突然、去りゆく"彼"の後ろ姿がフラッシュバックして、僕は戸惑う自分を誤魔化すように頭を振る。何で今になってあの時の光景が脳裏に浮かんでしまったんだろう。

「ネス……どうしたの。調子悪いの?」
「ううん、大丈夫だよ。早く行こう――

 心配そうに声をかけてくるナナシに笑顔を返すと、二人で谷へと足を進めた。あの時、僕の精神世界"マジカント"で聞いた"彼"の声は本当に"彼"の本心だったんだろうか。それとも、"彼"にはそう思っていてほしかったという――僕の願望が生み出した声だったのか。
 あの時、無理やり捕まえてでも"彼"を呼び止めていたら何かが変わっていたんだろうか。隣人であった"彼"が消え、六年経った今でも時折そんなことを考えてしまう。

もうすぐ折り返しという感じに。

続き



戻る
▲top