⑥
ハッピーハッピー村を出た僕達は、そこから駆け足気味に三時間程かけてグレードフルデッドの谷を抜けた。ツーソンに戻ってくると、最寄りのバス停を目指して駆け抜ける――。
この時には十二時四十分近くになっていた。ナナシが言うには、このバスを逃すとしばらくは次のが来ないというのである。つまり次に来るバスがこの時間帯の最後のバスということだ。
ツーソンからスリークまでは一応徒歩でも行ける距離ではあるけど、そうなると最低でも一時間以上はかかってしまう。ここはなんとしても間に合わせないといけない。
バス停が見えてきたと同時にトンネルの奥からバスのライトが浮かび上がってきた。どうやらギリギリで間に合ったらしい。息を切らしながら乗り込むと、二人して空いてる席にどかりと腰を下ろす。
「ふう、間に合ってよかった……」
「谷を走ってきたのは正解だったね。結構、キツかったけど……」
お互いまだ額から吹き出る汗をタオルで拭いながら、窓の外に流れる景色を眺めていた。とは言ってもすぐにトンネルに入ってしまったけど。ここからスリークまではトンネルと森の中を交互に進んでいく為、風景を楽しむには少し寂しいものになるか。
ナナシの方に視線を向けると、彼女は一冊の本を取り出して表紙を眺めていた。ビニールが剥がされていない所を見るに、ツーソンのデパートに立ち寄った時にでも買っていたんだろうか。
「本も買ってたんだね」
「うん。好きな作家さんの本なんだけど、まだ持ってないものだったから……デパートで見つけた時につい買っちゃった」
ナナシはその本をリュックの中にしまいながら、どこか嬉しそうに微笑んでいた。そういえば彼女は小さな頃から読書をするのが好きな人で、休日はオネットの図書館に入り浸っているなんてことも珍しくない。対する僕はどちらかと言えばゲームや野球ばかりしていたし、読書というものは昔からあまり得意じゃない。
読むといってもマンガぐらいのもので、その点で彼女と語り合う機会はあるけど。気付けばバスは森を抜けて再びトンネルに入っていく。ここを抜ければスリークはすぐそこだ。
――僕が旅をしていた頃、このトンネルにはギーグの手下であるゲップーの呼び出したオバケ達が潜んでいて、通行人の行く手を阻んでいた。
当然スリークへ向かおうとした僕達も足止めを食らってしまい途方にくれることに。だけどあの時は借金地獄に飲まれていたバンドグループ"トンズラブラザーズ"達を助けたことで協力を得て、何とか通り抜けることができたんだ。
以降彼らとは旅中で助け合うこともあって、今でも大切な恩人達であるということに変わりはない。僕達が今こうしている間も、きっと彼らは世界の何処かであの陽気な音楽を響かせていることだろう――。
最後のトンネルを抜けて視界が開けると、木々の間に町並みが見えてくる。さて、そろそろ降りる準備をしないとね。僕達はリュックを背負いなおすと、バスを降り立った。
山間にあるスリークの町並みは以前と変わりなく、静かで穏やかな雰囲気を醸し出していた。都会のような賑やかさは無いものの、空気は美味しくて不思議と心が落ち着く。真上にある太陽も麗らかな陽気を演出しており、ナナシなんて気持ちよさそうに背伸びをしていた。
「うーん、スリークに来るのなんて久しぶりだなあ。これからどうするの?」
「まずは何処かで昼にしよう。そこで説明するからさ」
二人して腹の虫が鳴ってしまい、互いに苦笑するしかなかった。適当に近くにあったパン屋に立ち寄り、空いているベンチに腰掛けて昼食を摂ることに。焼きたてのクロワッサンやスキップサンドを齧りつつ、膝の上に広げた地図を見ながら彼女にルートを説明する。
「ここを見て。この町の北側に大きな谷があるでしょ。その中に三ヶ所目のパワースポットがあるんだ」
「今度は北を目指すんだね。途中に森が広がってるけど、そこを抜けるってこと?」
「うーん……実は、あの谷へのルートはかなり特殊でね。スリーク側だと地上からは入れないから、地下を通っていくんだ」
普通ならナナシの言う通り森を抜けていくと考えるだろう。だけど、北の森から入った所であの谷に入ることはできない。
これから向かおうとしている場所、ルートを彼女が知ったらどんな顔をするだろうか。それに僕の中にはひとつの懸念があった。これは実際に行って確かめてみないと分からないことだけど。
「地下っていうと、トンネルが開通してるとか?」
「ええと、言葉では説明しにくいっていうか……まずは行ってみよう」
ドリンクを飲み終えて北へ向かう。――この町はかつてゲップーに支配されていて、奴の手下であるゾンビやゴーストが町中を闊歩していた。情報を集めても打つ手無しといった所に、ツーソンに住むアップルキッドという友人から実に良いタイミングでナイスな発明品"ゾンビホイホイ”が届いた。
それを使ってゾンビ達をテントに集めて一網打尽に。後は僕達でゲップーの居場所を突き止めて退けたことで、この町は脅威から解き放たれたんだ。
だけどこの町には僕にとって苦い思い出も残っている。これはまだナナシには話していないし、これからも言うことはないだろう。万が一知られでもしたら、僕はきっと耐えられないと思う。黙々と歩いていると、不意にナナシから小さな声が漏れた。
「そういえばさ、ネスって旅してた頃ここのホテルで酷い目に遭ったって言ってたよね」
今まさに考えていたことと重なって僕は全身が跳ね上がる。思わず叫びそうになったけど、喉奥でなんとか引っ込めた。
「あ、ああ……そうだっけ。でも大したことじゃなかったと思うし、もう忘れ――」
「確か、美人のお姉さんに微笑まれてついて行っちゃったんでしょ? でも実は敵の罠だったんだよね」
今度こそ僕の動きは止まった。待てよ。何で彼女がそのことを知ってるんだ。実情を知ってるのは僕と、ポーラとジェフの三人だけのはず。
プーにも知られたくなくて今まで黙ってたぐらいなのに。そういえばナナシはポーラとよく会ったりしてるし、ジェフともたまにメールでやり取りをしている。漏れるといったらそこぐらいしか思い当たらない。こうなるならちゃんと二人に口止めしておけばよかった。
「……それ、ポーラ達から聞いたんだろ。いつから知ってたの」
「ええっと、二年ぐらい前。ポーラから聞いてたし、ジェフからのメールでも知ってたよ。それにしても……ネスも男の子だよね~」
ナナシは悪戯っぽい笑みを浮かべて僕の肩をポンッと叩いてきた。まさかこんな形で暴露されるとは思わなかった。
今更後悔しても遅いし、二年前から知ってたというなら言い繕って誤魔化すのも無理だ。観念するしかない。僕は溜息をつくと、頭を掻きながら白状した。
「ああもう! その通りだよ。あの時は優しそうな人だなって思ってついて行って、騙されたと思った時には、もう……」
何で僕はあんな過ちを犯してしまったんだろう。同行していたポーラも巻き添えにしてしまったし、二人揃って遠方からやってきたジェフに助けられることになった。今となっては二人とも笑い話にしてくれてるけど、僕からしたら黒歴史に近い出来事だ。
それがよりによってナナシにも知られるなんて、穴を掘って埋まりたい気分になる。丁度北部には墓場があるし、今の僕にはまさにうってつけの場所かもしれない。まだ意味深な微笑みを浮かべている彼女と共に歩いていくと、目的の場所へ到着した。
「……そっか。スリークの北には大きな墓地があるんだったね」
「谷へは墓地の奥から入っていくんだ。この先だよ」
景色や雰囲気は様変わりし、ナナシの顔からは笑みが消えている。ここは以前と変わらないな、と思いつつ墓地の奥へと歩を進めていく。途中墓参りに来た人達とすれ違うぐらいで、後は静かなものだ。ただ、少しばかり奇異な目で見られはしたけど。
大きなバックパックを背負った二人組が墓場の奥地を目指して歩いていたら、それは気にかかる人もいるだろうな。どう見たって墓参りに来たという風体ではないしね。今聞こえてくるのは砂利を踏む僕達の足音と、蝉の鳴き声。森の付近まで行く頃には墓の数も減っていた。
「森まで来ちゃったけど、本当にここから地下に入るの?」
「うん。もう少しで目的の場所に着くよ」
もう少し歩けばひとつの墓石が見えてくるはず。その墓石を退けると地下への通路が現れるんだ。そこがかつて僕達がサターンバレーへと向かったルート。しかし、僕の中には不安要素がある。あの地下への階段が健在であるのかどうかということだ。スリークはかつてゾンビやゴーストに悩まされていた町。
奴らの通行手段となっていたあの墓石を、町の人達が六年間もそのままにしておくとは思えない。やがて開けた所に出るも――そこに例の墓石はなく雑草が伸び放題の空き地となっていた。
「目的地ってここ? 何も無いみたいだけど……」
ナナシは困惑しながら辺りを見渡している。どうやら僕の懸念は的中していたらしい。偽物の墓石は撤去されていて、階段のあった場所はコンクリートで塞がれていた。
むしろまだ放置されていた方が奇跡に近かったかもしれない。アテが外れてしまったけど、これで谷へと向かう手段が無くなったわけじゃない。あの力を使う時が来たみたいだ。正直気が乗らないけど、折角ここまできたんだしナナシをあの場所に連れて行きたい。
「ネス……どうする?」
「進む方法はもうひとつあるよ。だけど、その前にナナシに聞いておかないといけないことがあるんだ」
もうひとつの手段。それは"PKテレポート"のことだ。行きたい場所を思い浮かべながら助走をつけることで瞬間移動できるPSI。旅をしていた頃にドコドコ砂漠に住む猿から教えてもらったもので、実に便利な力だったけど相応のリスクも抱えている。
「これからテレポートを使おうかって思ってるんだ」
「テレポート……!? ネス、本格的にPSIを使う気になったの?」
「今回は特別。谷に入るにはこうするしかないからね。そのことなんだけど、テレポート中は景色が目まぐるしくなるし、成功する前に壁とかにぶつかると……エネルギーが暴発して黒焦げになってしまうんだ。それでも、この先に進む?」
ナナシはテレポートを体験するのは初めてだし、もし失敗でもしたらと思うと気が気じゃない。僕自身テレポートをするのは久しぶりで、昔のように安定できるかどうか――それでも彼女が頷いてくれたら、頑張れるはずだ。
ナナシは小さく唸ると眉を下げて俯く。彼女の中で葛藤が渦巻いているのかもしれない。しばらく沈黙が続くと、ようやく顔を上げた。その表情は穏やかなもので、瞳には光が宿り輝いていた。
「うん。私、一度テレポートっていうのを体験してみたかったんだ。ネスさえ良ければ、私はOKだよ!」
ナナシは笑顔を浮かべてそう言ってくれた。よかった。彼女が覚悟を決めてくれたことで僕も心置きなく力を発揮できる。
「分かった。君が大丈夫なら僕もやってみるよ。まずは広い所に行こう。なるべく誰も通りかからない場所にね」
一般人にテレポートをしているところを見られたら何かと面倒だ。昔、一度新聞に取り上げられてしまったこともあるし。
僕達はスリークのバス停付近まで戻ると、道路に踏み込む。今なら通りかかる人や車もないし、バスも数分前にフォーサイド方面に向かったばかり。
力を使うには絶好のタイミングということだ。ナナシに背後につくように促すと、手を繋ぐ。彼女の手がしっとりと汗ばんでいるのはきっとこの暑さのせいだけではないと思う。やはり緊張しているのかもしれない。
「それじゃ合図を出したら走り出すよ。心の準備はいい?」
「うん。いつでもいいよ……!」
気丈に振る舞うナナシに僕は何も言えず、"GO"の掛け声とともに駆け出す。PSIの力が働くことで僕達の足取りは段々と空気のように軽くなり、走る速度は車を追い抜かせるほどまでに上がっていった。
ナナシの手を絶対に離さないように、指を絡めて繋ぎ直すと力強く握り返される。それは彼女が必死でついてこようとしている気持ちの表れでもあった。
やがて視界が真っ白になり、眩しさで目を強く瞑る。次に目を開いた時には、あの景色が広がっていることだろう。かつて最後の冒険を支えてくれた、不思議な恩人達の住む谷の景色が――。
彼らと出会ったナナシさんは一体どうなるか。
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